私の生まれ育った京都市の真ん中に御所があります

学校がその近くだったので 授業を御所の芝生の上でと先生にお願いしたり

ホームルームの時間にわざわざ御所にいってミーティングしたり

体育や部活の時にランイングしたり

私にとっては とても身近な思い出のつまった場所です

それは私だけでなく 京都市民にとって

緑と憩いのスペース うるおいを与えてくれる貴重な場所です

そのようなおもいの詰まったところなのに

ついこのあいだまで静かで和やかな時間と空間を提供してくれているところというように漠然と思っていました

ところが つい最近 ある人に御所って明治になって天皇陛下が東京に行かれるまでは 天皇陛下のお住まいになっていた

いわばお城だったのに 外国のお城と全然違うことに気づいていた? と言われて 初めて気づきました

御所にはお堀も高い塀もないのです あまりにも身近でそれが普通と思っていました

たしかに内御所には低い塀がありご門もありますが のりこえようとすれば簡単に乗り越えられるようなものです

すなわち 外敵が攻め込んでくることを想定して「自分たち」を守ることを第一に考えて築城されたものではないのです

これは何を示しているのでしょう

それほど日本は平和だった?

戦国時代も明治維新も・・と思うとそんなに平和だとの一言でこたえられるものではないと思われます

私は この御所のたたずまいと 神戸の震災や東日本の震災の時に現地に行かれた天皇陛下皇后陛下のお姿に重なるものがあると気づかされました

きっと自分を守ることなど思ってもいない方々なのでしょう 逆に日本のみんなのための存在でみんなの安らかな暮らしを祈ってくださっている

そんな存在だと震災の地域へのお見舞いの姿から感じたのは私だけではなかったと思うのですが

それらのお姿と御所のたたずまいは同根だと思いました

念のために申しますが 私はいわゆる右翼ではありません

ただ あの震災の時の癒された感じと重なる御所が故郷の京都にあり それに親しんできたことをよかったと思う

このような 世界のなかでも他にない天皇陛下という存在がある日本にいてよかった という単純な感想でした