少し前 1月17日の京都新聞で同志社大学の濱教授がのべられていました

pいわく(といっても 私の勝手な理解ですが)

p違いというのは、自分の意見や主張と異なる意見や見解といったものであり

p間違いというのは 文字通り 正しくないこと といったこのである

p明らかに両社は違う

pにもかかわらず この「違い」と「間違い」は 明確に区別されていない というかできない と見える

p自分の思いや主張と違った意見や行動に出会った時、

pそれが「違い」であれば よく聞き 内容を吟味し、受け入れて視野を広げる 自分自身成長させるという

p対応をすべきであるし、個人も社会もそれができなければ 硬直的な一方向に全員が走り出すような世の中にもなる

pしかし それが「間違い」であれば 安易にうけいれたりすると 間違った方に進み 悪い結果になる

pというような解説がなされていたように覚えています

p多様性が必要で、イノベーションを生み出す土壌になる と言われている昨今

pいろいろな考えや行動、視点が混在するからこそ 環境の変化にも対応できる強い個人、組織、社会が維持されるのですから

p自分と違っているからといって、すぐに否定するのではなく その存在を認めることも大切なことです

pそれをいうなら 自分と違うと即座に「それは間違っている」と否定するような行動は あまり望まれない反応です

p自分と違うから といって即座に拒絶するようなことをすれば 多様性は失われ 硬直的になり衰退するので

p自分と違うものも 柔軟に受け入れるいわゆる「ふところの深い」人や社会が生き延びる ということでしょう

pしかし、もしとんでもない「間違い」であるにもかかわらず 表面的な見え方や言い回しに目が曇って、信じてしまうということも有り得ます

pだれも、ただ自分の気に入らないからといって 相手を否定し拒絶するわけではないでしょう

pやはり「それは 間違っている」「いけない」と確信がもてるから 拒絶し 場合によっては攻撃もするわけです

pその上 厄介なのは、何が正しくて 何が間違っているか などは だれも断言できないほど 世の中の進歩や変化は進んでいる という環境にもあります

p「違い」と「間違い」は似ているが 違う   

p目からウロコ のように感心して納得をした気分でしたが

p具体的になると・・・・ 

p自分や自分の周りはどうか まったくわからない としか言えないように感じました

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