ここしばらく 相撲の横綱白馬富士関による”暴行事件”がマスコミをにぎわしている

ご本人が暴力をふるったことを認めているのだから 冤罪ということではなさそうに思う

私個人としては そこでビール瓶で殴ったか殴らなかったかが問題の中心ではないと思うが

そこをはっきりとさせるのが真実を追求する ということのごとく取り上げているようにも見える

殴った回数が両者で違うからどちらかがウソを言っている というのも・・・・

立場がかわれば 記憶も違うのは当然だろうし どんな事件でも 加害者は無意識にでも自己弁護的な発言をしがちで

被害者はひどい目にあったということを訴えたい気持ちになるのもわからなくはない

私は一連の報道をみていて またいろいろな立場の方の発言を聞いて

それぞれの立場でいろいろな見方 感じ方があるものだと思った

「かわいがり」は大切な文化で それらも含めて力士は強くなる という発言もよく見る

相撲だけでなく いわゆる「しごき」や「愛のムチ」という表現で暴力を擁護するような発言もよく見られる

私は「こら!」と頭をポコン というような場面を全面的に否定するものではないが

少なくとも そのようなことが認められるのは とても強い信頼関係があることが絶対不可欠で

そのような信頼関係は 実の親子関係でも必ず存在するとは限らないようなものであると思っている

それがない場合は 関係が親子であろうが師弟であろうが 先輩後輩であろうが

あるいは それが「そうしてきた歴史」であろうが「みんなやっていること」であろうが

簡単に許されるものではないと思っている

そう思うと ひょっとして 相撲の世界の常識は 常識ではなく 悪弊であり 改善が急務であるものである可能性も大きいのではないか

と思えてくる

だれが正しいとか正しくないとか 一方的に手を挙げた人だけが悪者として断罪すれば済む というものではなく

もっとその根にあるものを よく見極めて報道もしてほしいと思う