「ゆでガエル理論」は誰もが一度はどこかで聞いたハナシではないかと思います

 すなわち

 カエルは いきなり熱湯にいれると驚いて飛び出すが
 水にいれて徐々に水温を上げていくと 
 逃げ出さず最後はゆでられて死んでしまう

という話です

 ゆっくりと進む環境変化には危機が目前に迫っているということに気が付きにくく
 最後には命をも失う と 危機対応のむつかしさや大切さを訴えるたとえとして
 よく用いられています

でも これは本当のはなしではなく 実際には

カエルは熱湯に入れると逃げることもできず死んでしまい
徐々に水温を上げると途中で逃げ出すそうです

このゆでガエル理論は正しくない ということは 
簡単な実験ですぐわかることなので 多分正しくないということは知られていることだと思いますが
(という私は 科学的に確かめもせず なんとなく信じていましたが・・)

昔も今もこのたとえが否定されてしまわず良く使われるのは

この言葉が 私たちはゆっくりと進む環境変化などの危機に鈍感で

気付いた時には手遅れになる ということを 心の中では知っているからではないかと思います

知っているくせに そのうち何とかなると楽観していたり 
誰かが何とかしてくれると人任せにのんきにしていたりしているうちに
大変なことになってしまう
そうなってしまってからでは もうどうしようもなくなって 
後悔しながらも耐え忍ばなければならなくなる のです

コロナ対応の問題
原子力発電所の問題
巨大地震の問題

あまりに大きな問題すぎて 
自分ひとりで問題意識をもったところでどうしようもない などと
すでにあきらめムードになっているうちに
本当に地獄をみることになるのです

自分が生きているうちは大丈夫 などと根拠のない楽観に逃げ込んでみたり・・・

本当にこれでいいのでしょうか 
自分は人の事を批判的に見ながら 自分のことは許している
罪深い生き物だとコロナの中でつくづく思っています