今月は 「ケアの倫理」に夢中になっています
今まで 自分の経験や自分の周りの出来事などから「何か違う」「どこかおかしい」と感じながら
それが社会の常識として長い時間をかけて構築されてきた思想であり「常識」であるならば
摩擦を起こすことなく 生活するためには受け入れ無理やりにでも納得することが
「良い人(女性?)」であるために必要なことなのだ と自分に言い聞かせてきていたことから
解き放たれた気持ちになったから と思っています
これまでの道徳性の発達理論では
権威(例えば親)に服従して得られる自己利益を善と考え
次は周囲や社会への順応
ついで 整合的で普遍的に当てはまる法則を善と考える次元に成熟していく と考えられていました
これに対してギリガン氏は
女性は関係者それぞれの事情と必要と意向を聞き取り
できるだけすべての人に受容される解決を模索する傾向があるという 調査結果より
人は誰もが傷つきやすく 他者によるケアが必要だ と考えることが最終的な成熟だとする
発達理論を構築しこれを「ケアの倫理」と名付けました
「ケアの倫理」では各人の事情の違いをこまやかにくみとり
助けを求める人に進んで応答する能力の伸長を成熟とみなします
すなわち 今起きている事態の特殊性をふまえ 適切な対応を考え出すことを目指すと「発達」を考えます
従って ケアの倫理による平等とは 誰もが同じ権利を持つことではなく
各自が自分の関わる相手をケアすることで 誰もが必ずだれかにケアされることと考えられます
だから ケアを不当に低く評価する倫理は
家事や育児や看護や介護において人の世話を主として担ってきた女性たちを不当に低く評価すると言います
気づかい 気づかれる関係は恥でも引け目でもないという主張が 心理学や倫理学にとどまらず
多くの分野に波及しているのもそれゆえであると言われます
近著でギリガン氏は もはやケアの倫理はそれまで聞き届けられてこなかった女性たちの「もう一つの声」ではなく
人間全体の声だと宣言されていると言われています
強者と弱者 勝者と敗者 支配する者とされるものとの分断が消滅する真の民主主義がが実現すれば
誰にも気づかいといたわりを求めるケアの倫理こそが人間の倫理となるという主張がされていると解説されています
これは根本的に人間の在り方や社会の在り方などを新手目て考え直すようにという提言であると思いますが
えてして 強い力をもち社会を支配する人達が考え直す動機を持つことがあるのか と思うと
これも一つの理想論 理論のための理論とならないか などとついおもってしまう自分がいるという
情けない思いもします