旧優生保護法に基づいて 強制的に不妊手術をした(させられた)というニュースがあります

なんと人間の尊厳を無視した扱いを それも政府が大きな権力を持ってしたことか

と暗く重っ苦しい気持ちが立ち込めます

私たちはいろいろな場面で ナチスによるユダヤ人迫害の話を聞かされ

それがどれほど非人間的な扱いであったか と 今後断じて許してはいけない行為だと思っています

しかし それと同じことが 自分の身近なところで正義として行われていたわけです

その時代にも「これはいけない・・」と思った人もおられるでしょうし

「何とかできないか」と思った人もあったでしょう

もし 自分の目の前でそれが行われようとしたいたら 自分ならどうしたか と考えます

なさけないことに 毅然と立ち上がって反対運動をしたか と言うとできなかったとような気がします

自分を取り巻く環境が そのような行為を是としていたであろうから 反社会的な人間を思われたくない とか

では「お前はどうするのだ」「何ができるのだ」と言われたら何も返答ができないとわかっていた とか

理由はそれこそいろいろとあげたらきりがないほど思いつきます

でも一番根本としては そのような行為が 自分が気に入らない人たちを排除することだという

その本質についての強烈な認識を持つに至るようなことがなかったのではないかと想像します

その時はそれが社会的に生産性をたかめて競争力をつける手段である とか

ひょっとするとそれが本人のためでもある なんて理屈に潜んでいる本当の怖さが分からなかった ということかと思うのです

今ならば それが少しは分かってきて危機感もある とはいうものの 

では・・といわれるとやはり それをダメ・・と毅然と顔をだして言える勇気はまだないかもしれない情けない自分なのですが

それでも ヒトゴトとは思わない程度にはなっているようには思います

また そのような人も増えていると思います

時の権力者による「正義」の押し付けは それが一件社会的正義に見えたりする分

余計に怖いものだとあらためて感じています