昔 小さかったころ お行儀の悪いことをすると 祖母に「お里がしれますよ!」と叱られました。

私は「よそでは こんなお行儀の悪いことはしないし・・」

「家だから ちょっといい加減にしてるけど、そのくらい大目にみてよ」

なんて言い訳してました

祖母は「家でお行儀がわるいと 外でも地がでるものです」

「家でも外でも 同じようにできるように 身に着けなければいけません」

といつもお説教されてました

たしかに、お行儀(マナー)というようなものは 頭で記憶するものでなく、何も考えなくても自然にふるまえるような

そのような 身についたものでなくてはならない

差別という意味ではもちろんありませんが

気持ちのよい社会生活ができる あるいはまわりとのおつきあいができるような そんな家庭に育った ということが

その昔の祖母にとっては 女の子には大切な要素であると 思われたのでしょう

今風にいうなら そのようなマナーが身についているかどうかで その家庭の文化の程度が知れる ということでしょうか

確かに ・・・ さすがに「おばあちゃんの一言」は今も納得の言葉です

ところで

最近 本物に触れる ということが少なくなっている という話を聞きました

日本建築の先生が「いい家を建てるにはどのような勉強をすればよいのでしょうか?」という後輩の質問をうけて

よい家を建てるには 本物を知っている事が大事 とおっしゃってました

いいものは いつまでも見ていられる そうでないものは すぐ飽きる あるいはボロがでてくる

だから いつまでも心地よく住み続けられるような あるいは 鑑賞に堪えられる建築は 本物(いいもの)である必要があり

そのためには それを建てる建築家は本物を知っていなければならない

だから いい建築をしようとおもうなら 本物を知る勉強が欠かせない

本物を知るには 自分で本物を見る 五感をあげて感じ取る という作業がいる

でも今の教育は技術にかたよっていて 本物のあるいは材料の良し悪しや適材であるかどうかなどはあまり教えられない

というようなお話であったとお聞きしてました

昔祖母が言っていた「お里がしれますよ」は

単に お行儀で文化程度がしれますよ だけでなく 本物を知っているかどうか もあったのかな などと

今になって あらためて 昔の人の言葉は深い なんて感心しました