ある本で 仕事ができる人というのは(自分で)考える力を持っている人である という言葉をみました

日常の経験のなかで 「なるほど そうだ」とうなずけるところがたくさん思い当たりました

非常にまじめで 一生懸命なのに 仕事に成長がない

注意したことはそれ以後同じ間違いをすることは少ないけれど 同種の間違いはする

また一を聞いて十を知る とまではいかなくても 十も二十も聞かないと完全な仕事ができない

といった人が確かに存在します

きっとこのような人は 考えて仕事をしていないのか

もしくは(自分で)考える力が不足しているのだと思います

仕事をする場面では どのような人でも

一つ一つ経験したり 教えてもらったり 注意されたりして 仕事を覚えていくというプロセスを経て

仕事ができるようになる と思います

その一つ一つの経験や注意などをそのままいわれたままに従うというのでは その事例にしか対応できないということに他なりません

わりと従順で真面目な人に多いような気もしますが それでは単純作業はこなせても 付加価値の高い応用の必要な仕事はしんどいと思います

一つの経験の表面だけでなく、「なぜ、そうしなければならないのか」とか「なぜ、そうするのがよいのか」とか「どのような目的なのか」とか

考えることが身についていると 基本的なことや本質が理解でき

そうすれば、同様の出来事に対して応用が利き

次にしなければならない仕事が推測でき

別の方法やもっと良いやり方などにも考えが及ぶ

ということになります

すなわち 仕事ができる人に成長していけるということになります

ということはわかっても

どうしたら「考える力」や「考える習慣」が身に着くのか は難しいかもしれません

私は 視野の広さ 論理的に分析したり積み上げたりする力があるかないかなどは 大きな要素であると思っています

また 頭のなかで考える ということは 頭の中で言葉で整理し 構築し・・・という作業を伴っているはずですので

言葉が豊富であることも大切なことであろうと思います

このように考えると 言葉や表現力が貧困で 文章を書くのが苦手 という人は 考えることも苦手ということにつながるかもれません

最近は ペンを持って文章を書く ということは少なくなってきているかもしれません

ワードで作成するかペンを持つか は手段の問題ですが

やはり 頭の中を 目に見える言葉に置き直し整理し 確認する ということを

「わかったつもり」にならないで丁寧に行う ということ などが以外と効果のある方法になるような気がします

何でもビジュアルに見たり調べたりできる現在だからこそ

本(文字 文章)を丹念に読み解き 自分の思いを言葉で表現し ということが大切だと思っています