今日は敬老の日です

幼稚園では「おじいさん おばあさんありがとう 大好き 長生きしてね」などという

カードを作ってきてプレゼントしてくれます

可愛くて うれしくて ずっと毎年の分を飾ったりしています

ところで敬老というものの 老人の何を敬うのでしょう

多分

昔は 日常生活の中で蓄積された 経験の宝庫ともいえる老人の知恵は素晴らしく 実際役に立ち

日常何か困ったことがあると おじいちゃんやおばあちゃんに教えてもらって問題を解決して来ました

しかし 現在は 何かわからないことがあれば スマホを検索しそれで解決することが一般になってきています

老人はPCを使ったりスマホを使いこなしたりもむつかしい傾向にあり

何か年を取って 役に立たない生物みたいな扱いになってきているように感じることすらあります

私などが子供のころ おばあちゃんの知恵とは無尽蔵な生活の知恵で 

私も大人になれば こんなに物知りになり 何でもできるようになれるかしら と思っていました

おばあちゃんの年になって来た今 何かできることがあっても

それは古いやり方だ とか 早く出いないので効率が悪い とか 

便利なものがあるのだからそれを使った方が失敗もなくうまくできる とか

あたかもガタが来た中古品のように思われているような気すらします

敬老とは 敬うのではなく

弱者である老人をたまにはいたわってあげましょう という趣旨ではないかと思われます

親切にいたわってもらえることもうれしいと思います

しかし老人に限りませんが 

人間は(ひょっとすると他の動物も)役に立てていると感じられることに生きがいを感じられる生物だと思います

世の中にはリスペクトしないではいられない先輩方もたくさんおられますが

損得勘定ではなく 高齢の人にやりがいをもっていただける生活場所があれば と思います

出来ればその場所で老人と小さな子供が昔の遊びや手仕事ができればいいのにと思います

わけもわからず 敬老の日だから 「ありがとう」ではなく 

自然なタイミングで自然に「ありがとう」と言い合えればと思います

そして

高齢者は 「この頃の若い者は・・」といわない

「我々年寄を敬わない」と愚痴ることもしない

何も吸収しようとしなくて 与えてもらって当たり前 に胡坐をかかない

となりたいと思います

長い時間 色々な経験をしてきた心の深さでニコニコと周りを包み込む そんな本当の大人でいたいと思います