新聞をみていましたら

IoTについのコメントが目にとまりました

IoTとはここでは「あらゆるモノをネットにつなげる技術」という意味の言葉として使用されていましたが

中国と欧米は「ネットの機能を拡張するために新しいモノ(ハード)を作るという発想で

日本は「ハードの機能を拡張するためにネットとつなぐ」というのが起点となっており、

重心はハードにあると解説されていました

そのため 日本がその発想で中国や欧米の市場に臨むと日本の製品は重過ぎるといわれてしまうことが多いのか

と納得するところがありました

携帯電話(すでにこの言葉が化石かも)でも個体としては断然機能においてまさっている日本の製品が世界に広がらず

日本の製品にくらべれば それほどいろいろな機能がない外国製のもののほうが世界でのシェアは大きいというのも

少し違った話ではあっても何かうなずけるような気もします

日本ではインフラや工場の自動化など重いIoTに関心が向けられ

またその方面では優れた技術を持っているとは思うのですが

いまはもっと身近な新しい分野や日常へ目が向けられてもよいというのはうなずけるところであります

それと同時に

日常で私たち自身も 思い込みのなかでの工夫 に終始していることはないか と

見直してみる必要があるかもしれないと思います

身の回りの「当たり前」が「当たり前」でなければならないのか

使いこなせもしないのに たくさんの機能がついていることが優秀 なのか

もっと言うと

目の前の便利さや「ひょっとしたら使うかもしれない」こと(もの)をいつも身近に備えておくことが必要か

自分で工夫したりする余地のない「便利なもの」がよいものなのか などと

問い直してみると 新に見えてくることもあるのではないか と思うのですが・・・