東日本大震災から10年が経過しました

新聞や雑誌ではこの経験を風化させまいと色々な特集が組まれています

その一つに佐藤仁宮城県南三陸町長の記事「危機なのに法律の壁を感じた」というのがありました
(2021年3月10日 日経新聞 「日本は変われたか」大震災10年➁)

東日本大震災への対応で「想定外の事態」と弁明を繰り返した政治。
この10年の間 有事や災害復旧に迅速に対応できる体制づくりに十分な時間を割いてきたのか 

と問いかけられています

法律がうまく機能しない危機時だからこそ 立法権を持つ国会議員の対応が問われる
それなのに 政治家も 既存のルールを順守 するばかりで本質をとらえて柔軟に対処できない
そんな日本の決定力不足はこの震災に対しても克服できなかった
そして今なお 有事に備えて法整備を主導しようとの政治の意思は見えない と語られています

例えば 緊急時に私権の制約はどこまで認められるか 
政治は議論が必要だとわかりつつ放置している   ということです

戦時下での治安維持法の苦い記憶からどうしても及び腰になっているのだろう と想像しますが
そんな保身を第一に行動する人に政治が任せられるのか 
これは一人ひとりが人のせいにしないで向き合うことでもあります

この様なまま 迎えてしまったのが 今回のコロナパンデミックです

危機時だからこそ想定外のことが起こりうる ということへの想像力を欠いては十分な備えはできない
(東大公共政策大学院 鈴木一人教授)

過去の戦争はともかく この四半世紀の間に 阪神大震災や東日本大震災などの相次ぐ災害を経験し

他国のミサイルが間違いであったとしても飛来する危険性も指摘される地政学的な国の場所も分かっており

だのにリスクを恐れて政治家も官僚も保身にはしるのでしょうか

私は何もできないくせに 批判ばかりするのは大嫌いです

また戦争など仮定としても考えたくありません

でもコロナ下で あまりにも危機管理ができない国であったことを目の当たりにし

子供や孫の未来を案じずにはいられません