小さいころ 私の「こわいもの」は独りぼっちになってしまうことでした

大人たちの中で一人だけの子供だったこともあり

何かの本を読んで 特別のことがなければ年齢の順に人間は死んでいくと知ってから

大好きなおばあちゃんがなくなり 父や母がなくなってしまったら

私は世界中で独りぼっちになってしまうと気付きました

もしそうなってしまったならば 私はどうしていきていけばよいのか というのが

小さなころの私の大きな不安であり 生きていくうえでの大きな課題となっていました

たくさん勉強したら たくさんお給料がもらえて この家に住んでごはんが買える と思ったり

でもそれだけでは 寂しくてしんでしまう と思ったり・・・

多分周りの大人は この小さな女の子がそのようなことに胸がつぶれそうになっているとは想像もしていなかったと思います

どのように生きていけばよいのか どうすれば一人で生きていけるほど強くなれるのか 

これは大人になるまで そして大人になってもずっと持ち続けている 私の胸の奥深くにしまい込んだ痛みでした

自分の子供が生まれたときに 手の中の赤ん坊の無防備ですべてをゆだね切った姿に接して

初めて「自分が生きる」のではなく

この子供を 授かった命を 未来につなげていくのだ この子が強く生きていけるように力を尽くすのだ 

それが私の”生きる”だと全身全霊で感じたとき 独りぼっちが怖い は消えていきました

自分の命を受けついで未来につながっていく命がある 

これほど心強く一人でないと思えることはないように思います

子供を得て 孫の顔をみられて 自然に「怖いもの」はなくなりました

この子達のためなら命すら投げ出せる と思えたとき

怖いもの は自分の生活や命を直接奪うものではなく

愛しいものを苦しめる災害であったり 戦争であったり となりました

どうしてこのようなものがいつまでも防げないのだろう とついつい思ってしまいます