毎年 お盆の季節になると 

戦争の体験を特集した報道があり 

経験者が高齢になり 貴重な体験談が風化してしまうことを憂う心配が話題になります

私は戦後の生まれですし 祖父母や両親の世代は戦争経験者ではありますが

戦争の経験を積極的に語ろうとはしませんでしたし

私も若い時は 日本が戦争に突入していく時代に生きていて なぜそれに反対しなかったのか といったことを

質問して(問い詰めてに近かったかも)困らせていました

それもあって 謙虚に体験を聞き取って次世代に伝えるということができないまま今日に至っています

そのような私の(ある意味)の戦争(被ばく)体験とでも言えるものがあります

記憶もあいまいになり 正確なことはわかりませんが

私がまだ幼稚園にもいっていないころですから 4歳くらいの頃かと思うのですが

ある日 祖母のタンスの引き出しを開けて遊んでいたとき

その引き出しの衣類の下から新聞の切り抜きが数枚あるのをみつけました

興味本位でそれをだしてみたところ

それは広島か長崎の被爆直後の写真が掲載されている新聞の切り抜きでした

話で聞く 焼けただれた人の姿やご遺体がそこかしこにある市街の写真でした

多分それが何であるのかはわからなかったとは思うのですが

そして幼児ではありましたが 見てはいけないものを見てしまったと感じて 

すぐにもとに戻して 見たということは誰にも言わず

それ以後 そのタンスの引き出しには二度とふれませんでした

多分今ならばそのようなむごい写真が新聞などに掲載されることはできないのではないかと思いますが

ほんの何秒かのその経験は その時感じた部屋の暗さや空気の重たさのような体感も含めて

いまだに私の記憶の片隅にありありと焼き付いています

今になって あの切抜は誰が何を思って大事に保管していたのだろうとか

あれ以後どうなったのか 誰も教えてくれる人もいなくなって

もし今手元にあるならば 歴史の生き証人として伝えていきたかった と思い返します

ほんの幼児が本当に一瞬目にしただけなのに

私は誰に言われるまでもなく 戦争という言葉を耳にするたびに

絶対イヤ と心が強く反発します

国を守る とか 国際間の協調とか 法律の整備とか 国連の役割とか・・・

色々なご意見を聞くとそれぞれ頭では理解したり なるほどと考えたりします

でも感情的でもなんでも とにかく「絶対イヤ」はより強くなることはあっても弱くなりません

ウクライナの戦場の報道 泣いている子供たちの姿 色々なものを見たり聞いたりするほど

頭より 心が暗くなり 心が涙を流します

私が小さい時に盗み見した写真ほどショッキングなものを見せることはあまりよいことではないとは思いますが

でも百聞は一見に如かずとも言います

世界中の人が 直接間接に戦争経験をして 報復の感情を育てるのではなく

「絶対イヤ」と心に刷り込まれれば 本当に戦争などなくなるのに と思いつつ

そうはならない現実を見ると 途方に暮れる気持ちになります