人の痛みを感じられる 心を持っていたい

優しさにあふれる 人間になりたい

誰もがそのような人にあこがれる という気持ちを持っているように思います

しかし 自分では人の気持ちを思いやっての言動のつもりでも

相手に通じなかったり ひどい人といわれて落ち込む という経験も持っています

私たちは本当は人の心を思いやったり 痛みを共有したり ということができないのでしょうか

たしかに 子供を亡くした経験がなければ 子供を亡くした人の心を本当にわかったとは言えないとは思います

しかし 想像はすることは可能でしょうし 逆に同じ心にはなれない ということがわかっていれば

傷つけることも少しは回避できる のではないでしょうか

人にたたかれれば痛みを経験します そうすると人をたたけば痛いということが感じられます

どの程度たたけば けがをさせるかの程度もわかります

もちろんだからと言って 喧嘩をどんどんしなさい とも言えません

けがをしない程度の殴り合いをして これがひどくなるとどんな結果になるかを感じなさい というのが

良い経験かな と思います

人をたたいてはいけません というのは簡単ですが またそれは間違ってはいません

しかし 小さいときに 「もどき」の体験をすることによって ひとに暴力をふるうことは

ひどいことであると体感することも非常に大切な経験であるとも思います

では心の経験はどうすればよいのでしょうか

やはり ここは本を読んで 主人公や登場人物の心の動きに思いをはせる という経験の積み重ねが物をいうのではないかと思います

先週も読書のすすめ などと書きましたが

ネットやアニメは具象的すぎて想像が深まらないきらいがあります

白黒の文字をたどり 登場人物に心を重ね涙する という経験が ひとの心を思いやることができる心を育てるのです

ネットやアニメを批判するのではありません それはそれで意味のあるところでしょう

しかし 子供達には 本を読んで登場人物になりきって泣いてしまった という経験を是非してもらいたいと思っています