ソーシャルメディアの課題
(2025年9月16日 09:00) カテゴリー:所長通信「ソーシャルメディアの課題」とタイトルを決めたものの
なんとなく ネット上であふれている情報の総称 といったイメージで考えていたものの
改めて考えた時 私自身 実は明確に定義ができないことに自身の無責任さやいい加減さを痛感しました
そこで ネットでちょっと検索してみたのですが
AIのお答えは
「インターネット上で個人が気軽に情報発信し他の利用者と相互にやり取りすることで形成されるメディアです」
という事でした
また ソーシャルメディアとSNSんぼ主な違いは SNSがソーシャルメディアという広い概念に含まれる
具体的なサービスの一種であるという関係性です と書かれていました
なんとなく あたらずと雖も遠からず っていう感じかな と思ったものの 近年このような言葉が(私にとっては)多いなとも思ったところです
発信の容易さや身近さで 誰でも どこからでも 自分の意見などが発信できるという利点は大きく捨てがたいものとは思いますが
その反面 あまりにも色々な情報があふれかえり 何が真実なのか 何を信じればよいかわからなくなって みんな右往左往してしまっているという状況や
間違った方に確信を持ってすすんでしまう というような問題も目につくようになっています
というものの では「何が真実か」「何が正しいのか」 と言われれば 「わかりません」 としか言えないことも
自分の自信のなさや 無責任さにつながるようで 足元のぐらぐらしている不安定さに 不安を感じる ところにもつながってきます
このソーシャルメディアの課題について積極的に発言している人として
アメリカニューヨーク大学の社会心理学者ジョナサン・ハイト氏の指摘が新聞のコラムにありました
いわく「ソーシャルメディアでは相手を罵倒するなど 攻撃性もいとわず影響力を得ようとする者がいるため
穏健派の発言力発言力が低下している」と指摘されています
また
「身体を使った経験や対面での交流時間をスマートフォンに奪われ 精神面に不調をきたすことが多い」という論を展開されています
認知科学者の鈴木宏昭氏は「1つの事件を100回聞くのと 同種の異なる事件を100個聞くことの区別が人間はそもそもできない
(まだできるようになっていない)のではないか」という言葉を残しておられます
すなわち 滅多に起こらない話題性のある事件をメディアが繰り返し報道すると
私たちはその種の事件が頻発していると錯覚するという事です
「人間はもともと記号の操作をする存在ではなく 自分の身体をうまく動かすことが人間にとっての知性であった」と述べられているとのことです
スマホとソーシャルメディアの組み合わせの歴史はわずか10年ほどですが
この間に 自分に思考が近い人の情報を繰り返し目にする機会は格段に増え
情報量も多くなっています
一方 ソーシャルメディアの利用が長くなりがちな理由として
私たちが社会的報酬を求める存在だから という事があげられています
多くの研究がソーシャルメディアに精神的セラピー効果があることを報告しています
そして 人々の行動を制御するプログラムが作るネットサービス上の情報環境(アーキテクチャーと言われる)によって
行動が制御されていると言われています
つまりアプリに通知が届けば そのアプリを開くし おすすめのコンテンツをつい見てしまいます
なのでこのアーキテクチャが利用者を欺くものであれば だまされてしまうのです
そしてこのついつい見てしまう行動が容易に習慣化してしまいます
私たちは予期せぬ新しい情報に出会うとドーパミンという物質が放出され幸福感が得られ
馴れてしまうと幸福感が薄れてしまうので また新しい情報を求めます
この環境を克服する必要があることは明らかではあるのですが
まだまだ先行きは不透明で相当な時間がかかると思われます