人を評して 「上品な人だ」とか「下品な言い方をする人だ」と言った セリフを聞くことがあります

この上品 下品 とはいったいどういうことなのかと考えることがあります

イメージ的にいうと 上品というときは「お金持ち」「あまり苦労をしていない」「のんびりしている」「性格がおだやか」といった感じがします

でも「お金持ち」でも下品な人もいます 「成金」というような言い方で表現される人です

「苦労をした」感じがしなくても「のんびり穏やかな性格」でも 単に鈍感で感受性が鈍いだけかもしれません

最近のニュースを見ると 法に違反しなければ何をしてもよい

むしろ 法の隙間をかいくぐって儲けることが かっこイイと思われているのではないか とさえ思えるようなことが多くあります

法律に違反しなくても 人としてしてはいけないことはたくさんあるでしょうし 場合によっては「嘘も方便」といわれるような 優しさの発露 もあるかもしれません

何でも〇か☓で分けてしまうような 心 のない判断や行動が警察のお世話になるようなことでさえなければ・・・と許されるのでは あまりにもさみしい と思わずにはいられません

ひょっとして 「上品」な人がいなくなって1億総「下品」になっているのでしょうか

「上品な人」とは お金持ちでなくても 高価な持ち物を持っていなくても 心が満ち足りていて 人を羨んだり 出し抜いてでも儲けよう なんてしない人 といえるのではないでしょうか

そう言うと「上品」にしていては 商売できない 生きていけない という意見もあるでしょう

しかし 人と常に競争し 勝てばそれでよい という生き方に 人はついてこないでしょうし 信頼も得られません

「いやしい」「さもしい」人には 人はついてこないし 人が集まらなければ お金からもみはなされるでしょう

人間には「心」があります どんな人にも「心」はあります

自分の「心」も他人の「心」も大切に 正しいことは恥ずかしがらずに勇気をもって実行する

そのようなことができる 本当の「優しい人」が「上品な人」ではないか 品位の高い人なのではないか と思います

最近のさびしいニュースに接するたびに 「上品な人」「強くて優しい人」にならねば そしてそのような子供たちを育てなければと感じます

ちなみに 私は 「強く優しい人」なるために 「しなやかに、したたかに」生きることをモットーとしています