少し前からネット上での中傷や誹謗で傷つけられたり

最悪の場合は自殺したりという事件が後を絶ちません

また近いところでは ネットでの呼びかけに呼応した人たちの「カラ予約」で

アメリカ大統領選挙のオクラホマ州の集会で会場の3分の2が空席となった

というニュースがありました

ネットに挙げられた誰かの意見や情報について 

その真偽を十分に見極めることもなく 多くの人が軽い気持ちでリツィートして

瞬く間にその情報が拡散されるという現象は 

すでに珍しいことでもなくなっています

専門家と思われている人(誰かはわからない)は匿名で意見を述べ

その周りに多くの人が群がり ひとつの大きな集団としての民意を形成する

実はその人たち同士もそれぞれ誰かは知らず

また同じ人たちが何度もリツィートしたりもあるので 実体はわからない

多分実体以上に姿が大きく見えていることは間違いないところだと思われます

このネット上での「民意」は時には国や社会をも動かす力ももってしまっています

ネットを通じての意見の表明や活動への参加は

今まで参加できなかった弱い立場の人に力を与えるという良い面も大いにありますが

責任のない「専門家」の意見が「みんなの意見」となっていくという危うさも

同時にはらむことになってしまいました

米国のジャーナリスト アレックス・カントロウィッツ氏によると

リツィート機能の”生みの親”のクリス・ウェザレル氏が

「人間には早すぎる機能だった 子供に銃を与えてたようなもの」と悔やんでいたということですが(日経新聞8月6日)

今の状況を見ると 本当にそうなっていると思わざるを得ないところがあります

私は このネットへの投稿の匿名性が問題ではないのかと思ってきました

実名での投稿に限れば 無責任な投稿はできなくなるので あやふやな情報が

あたかも「みんなの意見」のようになって影響力を持ってしまうことは防げるのではないか と思っています

しかし 匿名だからこそ弱い立場の人 面と向かって物が言えない人の声も吸い上げられる ということもまた大切な視点だとも思います

匿名か実名かという 単純な二者択一ではなく

匿名の自由さ 実名の確かさ の良いところを生かす仕組みを作り出すことこそ

大切なことなのかもしれません

また 何事も画面越しに済ませるのではなく 

顔を合わせて「ワイガヤ」をするからこそ生まれる「何か」の価値について

それを大切にするということも忘れないようにしなければと思います