今あらためて 野中郁次郎先生
(2025年10月6日 09:00) カテゴリー:所長通信世界的な経営学者の野中郁次郎先生は 2025年1月25日にお亡くなりになりました
そのニュースに接した時は 雑事に取り紛れていたこともありましたが
昔お世話になった先生の訃報に接した という感じで
むしろまだお元気でいらっしゃたのだ と発見したような気持ちも正直あったように覚えています
私事ですが 最近 身の周りを整理する必要があって そこらじゅうに山積みになっていた本を積みなおしたり
過去に書き散らしたレポートや論文原稿が出てきたりして 懐かしくそれを見ていたところ
急に 野中郁次郎先生には大きな大きな財産をいただいたと 今更ながら心に迫るものがあり 色々な記憶がよみがえってきました
今から20年余りまえ 公認会計士になってから会社の現場と長年かかわってきて
同じ業種 同じ規模等 外見は変わらなく見える企業であるのに 成長発展を遂げている企業と衰退していく企業があるのはなぜだろうという疑問が大きく膨らんできていました
その疑問を出発点に大学院に戻って 企業の組織論や経営学 あるいは組織心理学 といった本を読み漁って
企業を取り巻く環境に対応していく 企業の成長発展の鍵を見つけ出そうとしていました
そのころ出会ったのが野中郁次郎先生のご著書であり そこで展開されているナレッジマネジメントの理論でした
そのナレッジマネジメントのフレームワークであるSECIモデルに出会って 私は長年の疑問に輝く光が当てられたように感じ衝撃を受けました
個人はその経験や感覚によって暗黙知を持っていますが 技術伝承に見られるように その暗黙知を対話や共同作業などを通じて身に着け理解し共有するにいたります
また組織ではその言語化や図式化が難しい暗黙知をメタファー 概念 仮説などの形で表現し対話や共同思考によって引き起こされる形式知にすることによって共有可能なものにし 伝達し ひろめたりします
そしてグループで共有する形式知を組み合わせたり再配置したりすることによって組織の知識体系を創造していきます
そしてまた その組織の中で実践や対話を通じて組織を構成する個人にノウハウやスキルとして体得された暗黙知が新たに取得され それがまたデータベースやマニュアルといった組織知として組織内に蓄積されます
SECIモデルでは 暗黙知と形式知が相互に変換されるプロセスによって組織において知識が新たに創造され蓄積され
この繰り返しによって個人の持つ知識が組織全体の知識として増幅し高度化し イノベーションの源泉となると考えます
その結果 企業は組織をとりまく環境変化にも対応していき 成長発展できると考えられます
「ソウゾウ(創造)はソウゾウ(想像)だ」などとダジャレにもならないようなことをワイワイ言いながら
研究室で同じ分野を研究している仲間と議論していたことを楽しく思い出します
私は博士論文の作成にあたって このSECIモデルのプロセスが継続的に繰り返されていくための「場」としての 望ましい企業組織のあり方や人間関係が保たれる環境づくりはどうあるべきかについて
理論を発展させ深めようともがき苦しんでいましたが 野中先生の言われる「冗長性」とはこんなことかもなどと今考えると純粋に楽しんでいたようにも思い出されます
近年 「分析」や「計画」「コンプライアンス」といったものが重視され
自己資本利益率とか 経済付加価値とか 事業ポートフォリオマネジメントといった指標や分析手法がとりいれられ
戦略立案や組織変革をコンサルティングファームに依存する企業も多くみられるようになってきていると感じます
そのような指標や手法を否定するものでも悪いと言うものでもありませんが
経営戦略やビジョンというものに 創造性が感じられなくなっているように違和感を感じます
そして この違和感を感じること自体 化石と言われる世代である自分の
過去の実績や思いにとらわれた柔軟性や吸収力を失った姿ではないかとやり切れない思いにさいなまれたりします
今改めて 野中先生の言ってられた
「知識は身体性を伴う実践知である」こと「知識創造に終わりはない」こと
「自分はどう生きたい」という主観をとりもどすこと といった言葉をかみしめ
いつの時代でも通じる真実というものを 改めて考えたいと思っています