2月中ごろの京都新聞で 英国のメイ首相が「孤独担当大臣」を任命した という記事をみました

といっても何かと気ぜわしく タイトルをさっと見た程度でいまだしっかりと記事を読んではいないのですが

「孤独死」という言葉もあるように 孤独とはそんなに別世界の話でなく 問題であるとはみんなが感じているところです

どうも 「孤独」というのは 健康に悪影響を及ぼす ものであるから 

「孤独」に取り組むことによって 国民の健康に対する悪影響を取り除こう という趣旨のようです

一国での取り組みになるほど 「孤独」が蔓延している ということなのでしょうか

私などは あまり大勢での中で回りに気をつかいながら・・というより 一人の方が気楽でよい と思うような人間なので

孤独のつらさに今一つピンとこないところが正直なところあるのですが

自分の身の回りをみると 友達や仲間の少ない人ほど つらいことへの耐性がなく 

また事実以上に自分をネガティブにとらえる傾向があるように思います

単純にいうと 何かいやなことがあっても仲間がいれば 慰めてくれたり 

「考えすぎだよ」と情報を訂正してバランスをとってくれたり ということがありますから

そういうことなのかな というようには思います

考えれば 孤独とは 独居や高齢者だけのものでなく

子育て中のお母さんや 家にも学校にも居場所のない子供たちも直面しているつらい状況であります

誰か(たぶん哲学者の三木清)が

「孤独は山になく街にある 一人の人間にあるのでなく 大勢の人間の間にある」と言っていますが

まさに・・と思わずうなずきます

でも 国や社会に対策してもらわないと 解決できなくなっている ということが

何かとても深刻な感じで わかるようで わからない という不安をかきたてます

それはどういうことなのでしょうか

そのような人がけっこう存在するというのはまわりをみていても認めざるを得ないところですが

それはメールやラインでのつながりなどとも関係するのでしょうか

直接ぶつかっていけば解決できるような場面で それができなかったり

電話すればすぐ解決できるのに メールでしか接触できない というような

人間関係の希薄な付き合いが多くなってきている ということなのでしょうか

あるいは あまり直截的な行動をとる人は圧迫感があると距離を置かれてしまう傾向があるのでしょうか

いずれにしても 人間は一人では生きていけない動物なのに 群れで生活できないならば

絶滅を迎えることになる のでしょうか

昔はいじめが今ほど陰湿でなかった とか

誰かがいじめても他の誰かがそれを当たり前のように注意して大事になるまでに解消できた とか

確かにいろいろと思うところはあります

しかし 子供や孫に だからと言って いじめられている人の友達になってあげなさい などと言う勇気のない

自分がいることも確かです

だから「孤独担当大臣」なのでしょうか

いいような 悪いような 何か割り切れない思いがします

孤独が人間同士のつながりから発生する問題ならば 

個々の人間同士が少しだけアクションを起こすことに カギがあるではと思います

まず 顔をあわせればあいさつをし 困っているように見えたら声をかける

そんなことを一人ひとりができれば と思います