「漢字が書けなくなった」という声を聴くようになって久しいです

また 連絡はメールやラインで とか

手紙がきても中身はきれいに印字した文章である

というのはすでに一般的になりました

たまに 美しい字でお礼状などいただくと 飾っておきたいような気になります

私は決して達筆でなく というより どこから見ても下手な字しかかけませんが

それでもお礼をお伝えしたいとかちょっとした時には できるだけ手書きで手紙を書くように意識しています

その方が何か気持ちが伝わるように思えるからですが

昔に比べて文章がスラスラかけないことにびっくりします

もちろん こちらが年を重ねた ということは大きな要因ですが

何でもソフトを使って文書を作成し 何度でも部分的に書き直すことができる

という方法での文書の作成に慣れてしまって

書く前に頭のなかで字数や起承転結を考えるなどのくせが薄れてしまっていることも大きいと感じています

子供の成績は国語力で決まる と聞いたことがありませす

教科書を読んで理解することも 答案の問題を理解することも回答することも

また回答にいたるプロセスを考えるという行為も

すべて国語力すなわち文書を作るスキルによっているということですから うなずけます

仕事をするようになっても 行き当たりばったりでなく

プロセスを考え 何をするかを明確にし・・・ というのもこの力と考えると

基本的なスキルとして書く力 読み取る力 がいかに必要かと気づきます

それも文章を読む力というのは 単に文字ずらをおうのでなく 行間を読む という力が必要ですし

書くのもいかに適格に考えていることや意図を表現するかという力が必要になります

これは結果の文章をいっているのでなく(すなわち方法はともかく結果ができればよいというのでなく)

まさにペンを持って書く力の重要性の話なのです

書かれていることを的確に理解できるスキル 適格に伝えるスキル これがないと

間違いなくAIに仕事を奪われることになり

その先には発展する社会が構築できないという未来が待っている ということになるのではないでしょうか